お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

社内ブログ導入記(1)

2005/06/30 19:27
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

かねてより、インフォテリア社内での公式コミュニケーションツールとしてブログを導入しようということで検討が進められてきていたのですが、最終的に「はてなグループ」を採用することになりました。

INFOTERIAノン・スモーキング・ルーム@はてな。
20050630-hatena.jpg

「重要なアイデアは会議室ではなくタバコ部屋で生まれる」といえば、それだけで以下で言わんとすることが100%通じてしまう人もいると思います。(私自身はタバコは吸いませんけど)

息抜きに一服しようとタバコ部屋を訪れた人たちが、たまたま同室した他の人と肩肘張らずリラックスしたコミュニケーションをするというシチュエーションは、ブレインストーミングという方法論が目指す「頭を柔らかくする環境」を自然と作り上げていると言えるでしょう。

こんな甘美な環境をスモーカーだけの特権にするのはもったいない!という思いから、バーチャルなタバコ部屋を作り上げようという期待を込めて「ノンスモーキングルーム」という名前を採用したのでした。

20050630-cigarettes.jpg

当社の社長である平野がすでに「社内ブログは新しい社内コミュニケーションツールになるか?」と題して本件に触れていますが、もう少し踏み込んで、どういう経緯で決まったのか、その思考過程を順を追ってご紹介したいと思います。社内ブログの導入を検討されている皆さんの参考になれば幸いです。

さて、そこでちょっと遠回りですが、「やっぱり社内にブログが必要だっ!」となぜ思ったのか、その背景を整理しておきたいと思います。

■メーリングリストへのアンチテーゼ

私自身が社内ブログの必要性について確信を深めてきたのは、現在のビジネスにおける代表的なコミュニケーションツールである「メール」に日々イライラしていたからです。もちろんスパムが目障りとかそういうレベルの話ではありません。もっと本質的なコミュニケーション心理における問題です。キーワードとしては2点、「閉鎖性」「儀礼的沈黙」です。

メールというのは、当たり前ですが、メールを書く人がTo/Cc欄に入力したメールアドレスの相手にしかメッセージが届きません。届くか届かないかはゼロ・イチの世界で、なめらかではありません。これが「閉鎖性」の根源です。

そして、最初にTo/Cc欄に含めた数人でメールベースの議論が進んできたときに、「あの人も入れておかなきゃ」となることはよくあるでしょう。こういうとき、そこまでの議論の経緯をその新しく追加された人に伝えるには、To/Cc欄にその人を追加して「全スレッド(一連のやりとり)を全文引用する」ぐらいしかないというのが現状です。

ちょっとしたプロジェクトになると、複数メンバーの宛先をいちいち個別に指定するのが面倒なので、「エイリアス(ある仮想アドレスに送ると複数のメンバーに同報される仕組み)」や「メーリングリスト(エイリアス経由で届いたメールへの返信はエイリアスに送らせることで双方向性を持たせ、議論を一箇所に集約して過去ログも閲覧できるようにしたもの)」を活用しようという話になります。

しかし、実はエイリアスやメーリングリストはメールの持つ「閉鎖性」の側面をより強化します。というのも、管理人がエイリアスに登録した人にしかメールが届かないからです。エイリアスを使ったコミュニケーションは便利なので、どんどん使われるようになり、その結果としてエイリアスに入ってる・入っていないの差異、すなわちエイリアスに入っていることの特権性がどんどん増幅されるのです。

エイリアスというゼロ・イチの境界の内側にいる人と外側にいる人とでコンテキストは分断され、これが派閥を生み出すということは容易に想像がつくでしょう。アルコールと同じで、適度な派閥(帰属)意識は潤滑油としてモチベーションや仕事の質を高めるのに役立ちますが、冷えてきた派閥はくだを巻いて狎れ合うだけの溜まり場になります。それを検知して積極的にガラガラポンとシャッフルするのが経営者の仕事なのですが、バーチャルな場であるメーリングリストだとそういった人事的な介入や工夫の余地がほとんどないのです。

一方で、送信先の数が10名を超えるあたりから、To/Cc欄に入れる入れないの判断が粗っぽくなり精度が落ちてきます。本来入っているべき人がうっかり抜けてたり、自分に関係ない話を読まされてウルサイと思う人が増えてきます。(メーリングリストでも、10名を超えると誰がメンバーだったかをすぐに思い出せなくなります。すると、以下に述べる同じ問題が起きます)

この10名を超えるあたりが「閉鎖性」から「儀礼的沈黙」へと問題がシフトする転換ポイントです。

そもそも、メールというのは押しつけがましいものです。受信側では「読んでいることを期待される」のがウザイし、送信側では逆に「「読んでいることを期待される」のがウザイ」と思う受信側の心理を先回りして、メールを送ること自体を止めてしまわないまでも、なるべく無駄なことは書くまい、という心理が働きます。

(良い意味で)図太い人は多人数宛てのメーリングリストをためらわずガンガン使って自己主張できるのですが、普通の神経の人は、メールが送られてウルサイと思う相手が入っているメーリングリストには、なるべく無駄なメールを送らないようにしようと遠慮します。あるいは、おのずと必要最小限のことしか言わなくなります。これが「儀礼的沈黙」です。

インターネットのパブリックなメーリングリストなどに参加している人は、規模の拡大につれてROM(もっぱら読むだけで発言しない人)だらけになって沈滞ムードになっていくところを数多くみてきたのではないでしょうか。

単なる業務連絡になってしまって細やかなニュアンスが伝わらない無味乾燥なメールのやりとり、ROMだらけになってしまうメーリングリストというような問題は、悪意ある誰かが引き起こす問題ではなくて、ひとりひとりの「押しつけがましくならないように」という配慮、謙譲の精神が寄せ集まって生まれるものなのです。

よくよく考えてみると、これはメールに限ったことではありません。多人数が集まる場なら会議などでも同様にみられる現象です。「硬直化・官僚化」あるいは「ことなかれ主義」と言われ批判されるような沈滞した組織文化は、規模の増大にともなって勢力を増す「儀礼的沈黙」という善意の集合から生じてしまうものなのです。なんと理不尽なことでしょうか。

そして、増え続けるメールがあるしきい値を超えると、自己防衛反応としてメールを真面目に読まなくなります。実際、私も一時期メールが増えすぎて緊急のもの以外は一切処理しなくなるという「メール食傷」に陥ったことがあります。コミュニケーション過剰からくるストレスは鬱などの神経症のもとですから、正当な防衛行為だとは思うのですが、どちらに転んでも送る側も受ける側も不幸です。

そんなわけで私は、組織論的な観点からも、技術的な観点からも、心理学的な観点からも、いよいよメーリングリストの限界を見極めるに至ったのでした。

(つづく)

♪ Coolio / 1,2,3,4 (Sumplin' NEW)

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー

個人情報保護方針
利用規約
訂正
広告について
運営会社