怒り心頭である。
ジャストシステムが「一太郎」と「花子」の販売禁止を命じられる判決を受けた(ただし、ジャストシステムは控訴する方針なので判決の効力は確定されないので注意)という、くだんの事件である。これはソフトウェア業界に勃発したテロリズムである。
CNET Japan : 「一太郎ショック」で鳴り響くソフトウェア産業への警鐘
ソフトウェア業界に属する人間として、怒りを通り越して脱力感にひたってしまう。極東ブログもこのトホホな判決とその報道状況に見事に斬り込んでいるし、13Hz!でも私が以下に述べない視点を挙げているので参考になるが、どうすれば歩み寄れるのか見当もつかない。判決文も見てみたが、こんなものが特許としてまかり通っているだけでも背筋が凍るのに、これが司法の場でも肯定されたということに、世の中の仕組みが狂いつつあると感じざるを得ない。法曹界のボンクラどもは何をやっとるんじゃ?と。
内容は敢えて詳述しないので、上記の他に必要ならここやここやここやここ、それからバルーンヘルプとは何かを知りたければここを見よ。
どうしてこう、特許をめぐる紛争はこうもみっともないものばかりなのだろう?(なお、この青色LED訴訟の件については一年前のこのときに言い尽くしたので、和解の続報について改めて言うことはない)
いつもなら感情で判断してはならんと頭を冷やして自分の認識の誤りを検討することから入るのだが、今回ばかりは何も見つからなかった。よって、私はまず本件を徹底的に批判する立場をとる。
■ソフトウェアに特許はいらない?
まず率直な見解を述べる。のちに建設的な議論に発展させる。
まず、ソフトウェアに対して出す特許は、例外的に斬新で素晴らしいものに限るべきではないか(基本的に特許として認めない方針でよいのではないか)という議論をする。ソフトウェアの特許とはどうあるべきか。専門家の見地から、こういう「そろそも論」をぶつ義務があると感じた。
ソフトウェアというのは主に人間とコンピュータがインタラクティブに触れ合う「ユーザーインターフェース」の部分と、その裏でロジックを実行する「アルゴリズム」の部分の二つから構成されている。
前者が人間工学であるのに対して、後者は純粋に機械的な応用数学の世界である。
まず後者に関して言えば、アルゴリズムとはつまり「プロセスのモノ化」であるから、かなりの汎用化が期待できる。検索、整列、結合、分割などの厳密で基本的なものから、最適化や高度な検索などの近似的な解法まで様々なものがある。しかし、この分野はアラン・チューリングが基礎を固めた1930年代からほぼやり尽くされていて、ハードウェアの性能向上やコモディティ化といった外部要因の変化を前提にしなければ新しいものは生まれないし、それとて小粒なものになってしまっている。とはいえ、こちらは専門家だけに閉じた世界であるから、100歩譲ってまぁ特許にも一抹の理を認めるとしよう。
一方、ユーザーインターフェースとは何かというと、その価値基準は「人間がストレスなく使えるか」と「斬新で魅力的と感じるか」のどちらかである(世の中にはエンジニアの思い込みで設計された使いやすくも斬新でもないユーザーインターフェースに溢れているが、それは特許とは関係ない)。後者は主に「意匠」だが、こちらも普及すると刺激が薄まってきてやがて前者になる。
つまり、ユーザーインターフェースの本質は「プロトコル(約束事)」なのである。道路標識もドアも改札もエレベータもボールペンも伝票も、(それなりに文化が共有されていれば)誰でも間違えずに何をすべきか判断できる。人間の認知能力はもっともボトルネックになりやすく飽和しやすいパーツだから、ユーザーインターフェースにおけるイノベーションの基本は独創性ではなく標準化である。
テレビのリモコンの右上に電源ボタンがあるのは、別にそれが革命的で素晴らしいからではなく、最初はたまたま偶然の配置で、それがなんとなく浸透してくるにつれて次第にそこにあることが無意識のうちに自然だと感じるようになってきたからである。工業デザインの世界では、これをアフォーダンスという。アフォーダンスを担保しているものは記号の流通とゆるやかな暗黙の合意形成の歴史であって、ポストモダンの用語で言えばシミュラークルの増殖ということになる。(まるで言語みたいだね、と思ったあなたは完璧に正しい)
これに特許を認めてしまうと誰が不便をこうむるかというと、ユーザーなのだ。非専門家である一般消費者がそのとばっちりを受けることになる。今回のケースでも、ジャストシステムにとってみれば絵を変えるぐらいその気になれば何の困難もないだろうが、その気にならなかったのだ。ただ善意からユーザーにとって一番ストレスのない選択肢をとることの何が不正だろう。翻って、その善意を踏みにじるために行使される特許とは一体どういうものか。
しかも今回の裁判では販売禁止のみならず在庫廃棄までを求めたという。もし仮にこれが実行されたら、一太郎を必要としているユーザーは一体どうせよと?残念ながら松下製の同等製品はございませんので、マイクロソフト社のワードへの買い換えをご検討ください、とでも?しのぎを削る好敵手でもなく、ともに同じフィールドで正々堂々戦う関係にもない者同士が、特許をめぐって争うことほど産業発展にとって不毛なことはない。
MacintoshがWindowsにマネされたのは、Macユーザとしては腹が立ったしアップルの戦いを応援していたけれど、その実はというとマネされたことを誇りに思っていたし、本当にマネをやめさせたいとは思っていなかった。そして、それが結果的に社会にとってとてもいいことだったのだ。
ここまでを総合すると、少なくともユーザーインターフェースにまつわる特許というのは認めない方がよいという結論が必然的に導かれてこないか。
法や制度に振り回されるな。本質を見よ。
法は完全実行されないことにこそ価値がある。
■特許は何のためにあるのか
特許とは特定企業の知的所有権をめぐる私益を何でもかんでも保護するためのものでは断じてない。
特許法第1条には、このように趣旨が書かれている。
この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する ことを目的とする。
特許は、守らねば潰されてしまうような個人や弱い立場の企業を保護し、発明を奨励することで、最終的に産業全体が活性化しますようにという期待を込めて、そのための手段として誕生したのではなかったか。
しかし現行の特許制度は、その弱者の立場にある当事者として言わせていただくが、もはや正反対の意味合いしか持ち得ていない。
「松下電器がジャストシステムをひねりつぶしたら産業全体が活性化されるんですか?」という質問ひとつで原理的な矛盾が導かれそうなものだが、どうもそういう明晰な議論はどこにも見えない。
より大局的に見れば、特許王国であるアメリカのソフトウェア業界があんな悲惨な状況になっていて、一方でグローバリズムの影響をまぬかれないから、国際社会(特にアメリカ)と競争していくには知的財産権の保護を奨励していかなくてはならない、という極めて外交戦略的な意味において特許を考えるというなら、わからないでもない(輸出90億円、輸入9000億円とその比100倍におよぶ腰抜けの日本のソフトウェア業界にそんな高い志があるとは思えないが)。それでも、すでに強者であるアメリカが得意とする土俵にへーこら上がっていったところで物量的に勝ち目はない。森鷗外は日本人よ二本足で立てと言った。一本は東洋であり、もう一本は西洋だ。我々には我々のルールがある。
私自身もソフトウェア業界のベンチャー企業に所属して技術革新のために日々仕事をしているわけだが、ソフトウェアビジネスの経験を積めば積むほど特許のナンセンスさが身に沁みてくる。2000年頃、あの悪しきビジネスモデル特許が華やかなりし頃にいくつか特許を請求してから、特許から一旦身を引いた。
いつか誰かから攻撃されるかも知れないから自衛のためにとりあえず特許をとっておこうという、それなりに自己正当化できるロジックと不信感の増幅というネガティヴ・スパイラルで成立し、いつの間にやら制度自体の存続が自己目的化した保険産業だと見透けてしまったからだ。核兵器の保有による抑止力と同じ底なし構造ではないか。
あえて丸腰になるには勇気がいるが、利他の精神のない誇りなきビジネスを続けるぐらいだったら店じまいするほうがマシだ。レイモンド・チャンドラーの言葉をもじらせてもらえば、「私利がなければ生きていけないが、利他がなければ生きていく価値がない」のだ。
その私利の面だけをとりあげても、いつか起こされるかも知れない訴訟のためにくだらない特許の請求項の作成に時間を割くよりも、クリエイティブで楽しいことのために時間を使いたいではないか。
■建設的な意見
ここで制度に対するより精緻な意見を述べる。対症療法的だが、即効性はあると思う。
現行の特許システムの最大の問題は「量的なものが斟酌されていない」ことであろう。特許法第29条柱書きには「産業として実施できるか」そして特許法第29条第2項には「容易に考え出すことができないか」という基準があるのだが、これらをあわせると特許を認定するような発明とは、ある日突然ひらめいてそのまま通るようなものではないということだ。そこには実現までの試行錯誤のプロセスがあってしかるべきで、アイデアよりインプリこそが技術的課題なのであり、どのぐらい時間とコストをかけてこれを実用レベルに持ち込んだかという証明を基準に盛り込むべきだ。
提出物として、設計に関する説明だけでなく、そういう設計にいたるまでのプロセスはどうだったか、その過程で起きた失敗がどう活かされたかを記述を添付する。それに要した人員と時間とコストのサマリーも添付する。産業のためのものなのだから、このぐらいのリアリティがあっていい。ここにウソの記述をする可能性があるとしても、いざ訴訟のときに白日の下にさらされることを思えば、抑止力としての効果は十分にあるだろう。
それから、特許法第29条柱書きの「産業として実施できるか」は、請願当時の判断でよかったわけだが、係争はその後何年も経ってから起きることがあるわけで、この条項の精神に照らせば訴訟を行った時点で「産業として実施して」いなければ、司法はこれを無効であるとしなければならないのではないか。
今回のようなケースやその他もろもろのバカバカしい特許騒動は、これでずいぶんと減るのではないか。
■プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
さて、肝心の松下の言い分はどうなのか。
「たしかに直接収益的なメリットはないかもしれない。しかし、我々は『知財立社』を目指しており、今回の件もその戦略の一環だ」
知財立社については、2005年1月11日に松下の社長である中村邦夫氏が発表した「2005年度経営方針」で説明されている。成長戦略を加速させるために「他社と明確に差別化された強い製品のみが顧客から支持される時代。いくつものブラックボックス技術をもつ技術立社と知財立社を実現していく」と言う。(CNET Japan記事より)
ああ、情けないコメント。自分が手にするかも知れないささやかな利益と、相手が倒産してしまうかも知れない切実な不幸の非対称性を、どう天秤にかけたらこのような恥知らずなコメントができるのだろう?自分たちの戦略と都合を押し通したイラク戦争とどう違うのだろう?パックス・アメリカーナのパナソニック版を目指しているのだろうか?松下の創業者・故松下幸之助氏なら、この件をどう考えただろう?
昨日(2月4日)付けの「松下幸之助 一日一話」には、偶然だが、こういう記述があった。
「企業は社会の公器」
一般に、企業の目的は利益の追求にあると言われる。たしかに利益は健全な事業経営を行なう上で欠かすことができない。しかし、それ自体が究極の目的かというと、そうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上をはかることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。
そういう意味で、事業経営は本質的には私の事ではなく、公事であり、企業は社会の公器なのである。だから、たとえ個人の企業であろうと、私の立場で考えるのでなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスになるかという観点からものを考え、判断しなければならないと思うのである。
何とストレートで美しい言葉であろうか。資本主義の源流にあった、マックス・ウェーバーの「片手に聖書、片手に算盤」のプロテスタンティズムの精神の脈動がそのまま聞こえてくるような言葉ではないか。こういう信念をもって事にあたってきたからこそ、松下は世間の尊敬を集める企業となったのではなかったか。
昭和初期のことである。松下電器も、昭和7年(1932年)ラジオの発売にあたり、特許魔といわれる発明家が、ラジオの重要部分の特許権を所有していたが、わが国ラジオ業界発展のためにと交渉し、結局2万5千円という、当時としては破格の大金でその特許を買い取り、それを無償公開しラジオ業界に大きな驚きと賞賛をもって迎えられたのである。
このように、幸之助は業界全体の共存共栄にも努力し続けたのである。
このような同業他社との「共存共栄」の精神はどこへ行ったのか。「水道哲学」の瑞々しさはどこへ行ったのか。松下幸之助氏を心から尊敬する者として、日本人として、恥ずかしく、また哀しい。この件に心を痛めている、知性と良識ある松下の社員たちの奮起に期待したい。
■金儲けと倫理の契機
マルクスは生産と労働を人間観の中心においた。社会主義が結果的に間違っていたとしても、これはマルクス理論の正しい部分である。ところが、現代人の労働観がどんどん歪んできている。まず自らの足下をよく見よ。
私たちは働いて給料をもらう。何のためか。まず私たちがそれによって生活をするためだ。うまいものを食べ、よい服を着て、よい家に住むためだ。その意味で労働は自利でよい。
しかしそれだけではない。私たちの妻(夫)を食べさせ、子を養うためでもある。その意味で、労働にも最小限、利他の契機は含まれている。働いて、金を儲けて、まず家族を養う。これは人類の最初の愛である。鳥の親が苦労して集めてきた餌を雛鳥にやる行為にもあるように、生物は本能的に利他の生活をしているのである。
それからさらに、自分の仲間が、会社が儲かるよう、会社の人すべての生活が成り立つように働く。それもただ食えればいいというわけではなく、人間らしく豊かな生活ができるというのは、素晴らしいことだ。
もうお分かりだろう?家族、会社の仲間ときて、地域社会、日本国、人類、あるいは自然のため、そういう利他を実現できて、はじめて労働という行為が生きてくる。自信をもって胸を張って生きていくとは、そういうことを言うのだ。
自分だけがこの世の中で生きているわけではないということ、関係性の中で生かされているということ、世界は思っているより小さくて狭いということ、そして金儲けにこそ倫理的契機が含まれているということ。
私は格好をつけてるわけでも博愛精神をアピールしているわけでも聖人を気取っているのでもなく、むしろそんな当たり前の基本的な社会構造が見えてない人間が、最低限の教養もないバカに見えると言っているだけだ。
私利私欲をとことん追求すればこそ利他に行き着く。騙し合いをやめて正直に生きればよいとは、なんともシンプルで気楽な生きざまではないか。そんなこともわからんバカは顔を洗って本の百冊でも読んで出直してこい。
■独立自尊を目指せ
福沢諭吉は独立自尊ということを強調した。「独立の気概なき者は、国を思うこと深切ならず」といった。自分の足、自分の思想で立っている独立自尊の人間がいないと、近代化は不可能であると考えた。しかし、日本は近代化したのに、むしろ独立自尊の人間がだんだん少なくなってきた。独立自尊とは「哲学」を持っている人のことだ。哲学といっても何も難しいことを言っているのではなく、自分の生き方を確立してそれを原理原則で明快に説明できるということだ。
あたなは自分の生き方、価値観を恥じることなく堂々と説明できるか?相対主義的ニヒリズムに堕してはいないか?私に言わせれば、それは自信のなさや社会への恐怖感と表裏一体だ。食うにも困るという切実な事情がなくなってしまったことが、かえって日本から独立自尊の人間を奪ったのか。
国際社会でやっていくとは、英語がしゃべれるとか知識が多いとかではなくて、「自分の原理」を説明できるかどうかということだ。民主主義とは多勢には従うが自分の説を曲げる必要はないことであると思い出せ。
■徹底抗戦せよ
さて、脱線が過ぎた。そろそろまとめに入らねばなるまい。
2003年以降にヨーロッパで起きているソフトウェア特許関連のトピックを集めておいた。皮肉な事に、特許王国アメリカではIBMやSUNなど大手ベンダーが特許の無償提供に乗り出してきている。。。
Lessig Blog : ソフトウェア特許に抗議するEU(2003年09月02日)
ブリュッセルでソフトウェア特許関連法案に対する大規模な抗議行動(2003/08/27)
EUのソフトウェア特許試案に非難の声(2003/08/28)
欧州の開発者がソフトウェア特許反対のデモ集会(2003/08/29)
欧州のソフトウェア特許指示の採決が延期に(2003/09/02)
L・トーバルスとA・コックス、欧州ソフトウェア特許法案に反対(2003/09/24)
欧州議会、ソフトウェア特許法案にゴーサイン(2003/09/25)
欧州ソフトウェア特許法案の制限は「行き過ぎ」(2003/09/29)
EUの指令可決で、特許戦争勃発?(2003/10/06)
欧州連合、ソフトウェア特許指令の修正案を承認(2004/05/19)
トーバルズら、EUのソフトウェア特許を非難(2004/11/24)
オープンソース界の大物らがソフトウェア特許を酷評(2005/02/02)
本件に関して、言いたいことがあればトラックバックでもコメントでもメールでも結構ですのでどんどんお寄せ下さい。誠実に対処させていただきます。(ただし、誰のための、どういう幸せのためのものか、という観点で誠意の感じられない議論は容赦なく切り捨てますのでそのつもりで)
特にソフトウェアでメシを食っている業界の皆さんにはぜひ関心を持ってもらいたいと切に願います。
知的財産権という言葉を不用意に振り回すバカが蔓延するのを防ぐのには努力を惜しみませんので、よろしくお願いします。
スローガンは「訴訟より、イノベーションを!」で。
不買は本質的なアプローチではないと思うが、抗議の署名が可能なので一応紹介。
♪ Sadist / Escogido
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
shingo on 2006/11/23
> passerbyさん
ぼくの目の色が黒いうちは行使させません。
というか、そんな特許の存在を覚えている人がもう社内には一人もいません(ぼくも指摘されてようやく思い出した)。そういう、社会に価値をもたらしていない特許は煩わしい手続きなしに自動的に無効化する仕組みにしていただきたいものです。やれやれ。。。
> aki saitouさん
自分自身が大した創造性を持っていない人間ほど著作権(ないし同等の義務・社会的責任を伴わない「権利」)というものを過大に主張する傾向にあるようです。益より害の方が大きい著作権などなくなってしまえばよいという考え方には根源的なレベルで同意します。
しかしルネサンス期から500年以上の歴史があるシステムであることも事実ですので、ぼくらが死に絶えるまでに理想の世界はどうやらやってこなさそうです。
プラグマティックな意味で、今ぼくらにやれることは、レッシグを応援するとか、
http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/002414.html
小さなレジスタンスを積み上げていくことしかないのではないですか。
ぼくはそのaki saitouさんの(著作権に対して疑問を抱く)感性を応援していますよ。長い人生のなかで、「仕事だから」という大義小義によって、ときには自分の本意を裏切るようなことに手を染めてしまうこともあるかも知れませんが、そういう弱さも含めて一人の人間であって、それでも諦めてしまったり安易に妥協したりしない信念を大事にしたいですね。
kenn on 2006/06/09
江島さん、コメントにレスを頂きありがとうございました。私も、一介のプログラマとして、ユーザとの関係で悩むことがあります。ユーザさんの望みどおりにすると、限りなく著作権侵害に近くなるシステムの開発を依頼されることがあります。私は、著作権などなくなってしまえばいいと思っているのですが、江島さんならどのようにされるのでしょうか?
aki saitou on 2006/06/09
今のソフト特許反対も、一太郎判決に対する世間の風潮に流されてのことですかね? 2年後ぐらいには、特許のことを勉強して特許ガンガン行け!そうでないやつは馬鹿だ!特許の知識のない「ぼんくら」が日本を滅ぼす・・・・という反省もありですね
インフォテリアの特許は、侵害者が出ても絶対に行使しません・・・ということでしょうか。それとも、後に翻す可能性あり・・・・
passerby on 2006/06/08
自分も手伝っておいて何ですが、個人的な感覚でいえば、こんな特許はクズです(笑)。何の実体もありません。
じゃなぜ取ったのかというと、ビジネスモデル特許とかいう当時の風潮に流されてのことで、過去にたくさんおかしてきた過ちの一つです。今はただただ反省しています(色々と勉強にはなりましたけど)。
プログラマならこんなウンコ特許は無視して世の中の人に喜ばれる実体のあるモノを作りましょう。制度がどうとかルールがどうとかいうのは全部後付けのことであって、ユーザを味方につけるのが一番いいんですから。(と、いつも自分に向けても言ってる)
kenn on 2006/06/08
>ソフトウェアに対して出す特許は、例外的に斬新で素晴らしいものに限るべきではないか
江島氏の言われるとおです。
でも、その基準が難しいのでは? 人によって違うのでは、という気がします。
江島氏所属のインフォテリア株式会社(日本)では、ソフトウエア特許を出されていますよね。(何か、反対しておいて、こっそりずるい気もしますが・・・。それはさておいて)
1. 特開2003-030014 情報の生命維持システム及び方法
2. 特開2002-123763 NDA締結支援システムおよびNDA締結支援方法ならびに記録媒体
3. 特開2002-092411 取引システムおよび取引方法ならびに記録媒体
4. 特開2002-007409 識別子管理システムおよびそのアクセス管理方法ならびに記憶媒体
【請求項1】 仮想取引所において売り手と買い手の交渉を交渉エージェントにより実行する取引システムにおいて、前記売り手、前記買い手、前記売り手の前記交渉エージェント、および、前記買い手の前記交渉エージェントを前記仮想取引所に登録する手段と、前記交渉エージェントにおいて、前記売り手または前記買い手からの指示情報を目標値と交渉ルールとに変換する手段と、前記仮想取引所において、前記売り手の前記交渉エージェントと前記買い手の前記交渉エージェントとの間で前記目標値および前記交渉ルールに基づいて自動的に交渉する手段とを備えたことを特徴とする取引システム。
この発明は、例外的に斬新といえるのでしょうか? エージェントで、ルールに従って交渉するって、何か当たり前のような・・・・プロとして著名な江島さんと、一般プログラマとでは感覚が違うのかも知れません。
aki saitou on 2006/06/08
ジャストを叩けば、一般的にはMSに行くしかない、という状況です。
とすれば、裏で何かあるのではないかと勘ぐってしまうのは、深読みしすぎでしょうか?
金が動いているとか、優遇してもらえるとか、口が裂けても言えないでしょうが...
yotcha on 2005/02/10
ソフトウェアとはちょっと離れた化学工業の技術者としての1コメントです。
まず江島さんが指摘された、「特許の主旨は産業の発達を促す物」という点、これが守られていないのは決してソフトウェア業界のみではありません。例えば(僕はこの領域しか知りませんが)材料の分野でも、それは悲惨なものです。僕は企業に所属していますが、残念ながら当社でも決して上記の主旨に合致した特許のみを出願しているとは言えません(それでも当社は正直な部類で、他社のインチキ特許に頭を悩ませる時間の方が長いのですが)。
材料分野で話をさせていただきますが、特許の主旨が守られないことには、大きく分けて2つの原因があると考えています。
1つは、特許が1つのアクティビティの指標として用いられてしまっていることです。企業でも、研究開発を「失敗した」テーマであっても、「特許〜件出願」という項目でつじつまが合ったことにしているケースは多いと思います。最近は大学や国研が独法化されて、やはり特許出願が増えています。税金を大量につぎ込んで知財を押さえて、果たして国の産業が活発化するのか、危惧を感じています。
2つ目は、アメリカの産業が海外(日本も主要国)にやられたときにアメリカの国策として打ち出したプロパテントの流れの悪影響をもって拡がっていることです。もともとは、出願された特許はとりあえず通す、問題が出たら当事者同士で争ってくれ、というものでした。それはそれで理屈が通っていないわけではないですが、現在の情報量の増大と、開発に関わる分野の拡がりで、知財の調査が非常に難しくなっているのは誰もがご存知のことだと思います。それを悪用するケースが増えているのは江島さんがご指摘の通りです。
これら2つの要因が重なってしまって、特許システムが非常にS/Nが悪くなり、本来の主旨を満たさなくなってきているように感じます。2つ目の要因はまた、とにかく他所にやられないためには自分も汚い手を使わざるを得ないという状況を作り出しています。現状で自分だけ正直者になっても、打たれ損になるのは目に見えています。結果として出願できそうならとにかくしておいて、後は睨み合いという状況となっています。訴訟に発展してはいないけれども問題には気付いていて、ライセンスで解決しそうも無いというケースは非常に多く、訴訟となっているのは氷山の一角だと思います。このままではまだまだ悪い方向に進みます。
その意味では、今回の事件(あえて事件と書かせていただきます)で叩かれるべきは松下さんではなく、本当の責任は、現状の特許システムと、それを運用している関係者(法廷も含む)にあると思います。
松下さんは、それこそ産業の発達に貢献するであろう重要な開発内容を、特許で公開されています。ライセンスの扱いも、積極的といっていいと思います。むしろCAN○Nのような知財で小銭を稼ぐ会社に煮え湯を飲まされるケースの方が多いのではないでしょうか。ちなみに僕はCAN○N製品は買わないようにしています。
もし、このようなやり方で注目を集めておいて、「現状の特許システムはナンセンスだ!当社はここでいらない特許を全て破棄します!」と言ってくれて、現状を変えるきっかけでも作ってくれたら、もう自分の部屋中を松下製品で飾ってしまうのですが。
最後に、こんな睨み合いに不本意ながら参加している立場上、匿名で投稿することをお許し下さい。
cbz on 2005/02/07
主張は良くわかりますが・・・・
松下のアプローチも知的財産重視と言うことならば、一理あると思います。国際基準から考えれば(この場合、アメリカを想定)、松下の発想、裁判所の発想は何の問題も無いと思います。中国に対しては日本も知的財産の取締りを強化せよと主張しているところです。
むしろ問題はこの判決が日本社会の心情にどうアピールするかでしょう。私はこちらの方が重要だと思っています。今はNHKの義経の影響かどうか、判官贔屓の意見が多いですが・・・
borg7of9 on 2005/02/07
私はしがない一プログラマです。
何を持ってユーザーインタフェースというのか、何を持って内部アルゴリズムとするのかが曖昧なところがソフトウェアの性質として存在すると思います。そして、基礎的アイデアが何処に伝播するのかが判らないし、なにが基礎的アイデアになるのかがわからないのもソフトウェアの性質です。『たとえば、どんなソートアルゴリズムを考え出されても「大小比較」を潰されたらおしまいですし、その影響はソートのみに留まらず、DBMSにも影響します。』以上を考えると、アルゴリズムですらも特許として認めてはならないという意見でしたら完全に私の腑に落ちるところになったでしょう。
アルゴリズムは解法という自然法則です。自然法則は誰にも所有されるべきではありません。
最後に、松下電器には特許2945753号、特許2982752号、特許2982753号をどう扱うのか明確な方針を打ち出して欲しいと思います。こんなHTMLフォームにかかわる基礎的特許をかような企業姿勢で保有しているままなら、いつ私や江島さん、そして2ちゃんねるのひろゆき氏やその他数多あるWebシステム利用者が訴えられるか恐ろしくて安心して眠れません。
SADA on 2005/02/07
堂々とした正論だと思います。
理念無き起業は無意味かつ本当の意味での反「社会的」
活動であると思います。
今回の松下電器の事件はそれを再認識させてくれました。
それより何より、松下電器は格好悪い。
ひとまず on 2005/02/06
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江島さんこんにちは。
最近(2006/11頃)のNovellとMSの提携、およびその後の(予想通りの)不協和が起こり、「ソフトウェア特許」を改めて考え、検索しているうちに貴記事に辿りつきました。
超後出しじゃんけん的な時期のコメントで恐縮ですが、それだけ江島さんの投稿の内容が今なお新鮮さをお持ちであると感じたものとお考え下さいませ。
自身は、システムエンジニア8割、開発者2割といった立場の者です。日々、オープンソース資産から恩恵を頂き、感謝しつつ、いつかきっと貢献するつもりでいます。
いっぽうで、特許を振りかざしてLinuxをはじめとするオープンソースコミュニティを脅し続けるMSなどのソフトウェア特許容認(依存)会社の存在には、常に憤りや怒りを感じています。
ソフトウェア特許に関する江島さんの記事、大いに勇気を頂きました。
自分もささやかながら、ソフトウェア特許へのレジスタンスを続けていこうと決意しました。
ありがとうございました。
いつか、自作ソフトウェアを、「Anti-software-patent ware」として公開したいというのが夢です。