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不確実性に立ち向かうマネジメント

2004/09/21 20:34
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ずいぶんと長くブログを更新できず、ふと振り返るともう10日以上経ってしまっていました。

前回のエントリには沢山の反響をいただいていたのですが、何ともタイミングの悪いことに本業の方で締切のある仕事を複数抱えてしまって精神的に追い込まれ、レスポンスをする機会を逸してしまいました。申し訳ありません。

本日より復帰しますので引き続きよろしくお願いします。


さて、今回の話題は「不確実性」です。

ビジネスにとって、不確実性とは、敵でしょうか、味方でしょうか。

多くのビジネスパーソンは、無意識のうちに「わからない」ということをネガティブな意味で捉えているようです。プレゼンのときに質問されたことがわからない、このアイデアは面白いけれども成功するかどうかわからない、この発表がどういう反響を呼ぶかがわからない、この仕様でシステムを作ったら満足してもらえるかどうかわからない、というように、基本的に「わからない」という言葉は「不安」という表象と強く結びついているからです。

その反対に、「わかった」という言葉は「安心」や「スッキリ」といった感情に結びついています。「わかった」は「AならばB」の論理を自明のものとして無意識の世界に追いやり、次に同じ「A」に遭遇したときにはなるべく思考コストをかけずに回答できるように、索引付きのショートカット回路が形成されたことを意味します。こうして「わかった」は「わかっている」になり、「安心」や「スッキリ」とさえ切り離され、何の感情も起きない「無関心」という状態に近づいていきます。

この種のルールベースの省力化は、日常生活をパターン化して疲れずに生きていくための脳の機能とみることができます。子供の頃、精一杯生きていた過去の日々をもう一度生きたいかと聞くと、ほとんどの人が「二度とゴメンだ」と答えるのには、この安心感の積み重ねを失いたくないという心理が働いているのでしょう。

ここで回りくどく述べたことは、実は何のことはない、日常的に「知識」と呼ばれているものです。人生で経験を積めば積むほど、様々な知識を蓄積することができます。しかし、「ナイフ=血が出る」だとか「熱湯=火傷する」といった生命の維持に最低限必要な知識の多くは成人する頃には一通り揃っていて、あとには知識を溜め込む能力だけが残されて、過剰な知識に弄ばれているのが人間というもの。

そんな知識の過剰にもかかわらず、一人の人間が知り得ることのできる知識の量は恐ろしく小さなものです。なんと逆説的で意地悪な帰結でしょうか。しかも、世の中には絶対的な真理などというものが存在しない以上、「『AならばB』の論理を自明とみなす」というルールは絶えず更新を続けなければ、やがてそれは「先入観」と呼ばれるものに変質していきます。どうやら、君子は絶えず豹変すべきさだめにあるようです。

そんな危険を内包した「知識」が、「安心」や「スッキリ」を与えてくれるというのは、甘いワナです。知識や経験は諸刃の剣だという自覚を持つこと。そのことへの戒めが今回のテーマです。


さて、前置きが長くなりましたがビジネスに話を戻しましょう。言うまでもなく、ビジネスの世界はこれ以上ないほどルールに満ち溢れた空間です。

売買契約、決裁ルート、勤務規定、定例会議、などなど、オペレーションが最適化されうまく回っている組織には必ずこの種の形式化されたルールがきちんと整備されています。こうした環境の中での「わからない」ということは多くの場合は知識の不足を意味し、不確実性とはあまり関係がないことがほとんどです。

しかし、世間に出回っている著名な経営者のインタビューなどを見ると、誰もが何らかの形で「不確実性と戦っている」とか「手がかりの少ない中で意思決定をしている」と言及しています。ここでいう不確実性とは、どういう次元のものなのでしょうか。

橋本大也さんのPassion For The Futureでも「木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか」という書評で取り上げられていましたが、西洋的な思想では自然界を制御可能なものと考える、とはよく聞く話です。加えて言えば、これは洋の東西によらず文明人一般にあてはまるようにも思われます。文明の都市化は、衣服・食物・住居・町並みに至るまで、生活空間のすべてを人工物、すなわち「わかるもの」で埋め尽くそうとする一方向の流れは、「『わからない』を言わない/言いたくない都会人」一般に見られる事象のように感じます。

ピーター・ドラッカーは経営に「マネジメント」という考え方を導入し定着させましたが、現在ではその言葉はかなり表層的に消費されてしまったように思います。

マネジメントとは何か?と問えば、ほとんどの人は「従業員を管理すること」「スケジュールを管理すること」「成果を管理すること」のいずれかを含めた回答をします。いずれも「マネジメント」に「管理」という訳語をあてており、「不確実性を排除すること」あるいは「すでに決められたルールないし想定枠の範囲内にとどまるように調整すること」のようなニュアンスで解釈されているようです。

しかし、ドラッカーの言葉で語られる「マネジメント」からは、無から何かを創造するような、目標に向かって突き進むパワーのようなものを感じます。そして、それをスーパーマンに依存せず維持可能なものとするための仕組み、組織のあり方です。それは「経営」ではあっても「管理」という語感には非常に違和感を感じるような種類の何かです。

「管理」という語感の背後には、十分に経験を積んだ理性ある人の手にかかれば次の案件もうまくいくだろうという、再現性への期待が込められています。しかし、実際のビジネスは本質的に不確定性の集まりであって、リスクとチャンスは表裏一体であって、リスクを排除することはチャンスを捨てることでもあるはずなのです。


具体的な例を挙げましょう。

梅田さんが「ビジョナリー・Tim O'Reillyの仕事術」というエントリ以降で紹介されている、IT Conversationsというサイトに掲載されていた「O'Reilly Radar 2004」というインタビュー記事に、Amazon.comとBarnesAndNoble.comとの違いについて語られている部分がありました。

いわく、

例えば「JavaScript」で書籍を検索してみると、アマゾンでは売上やユーザレビューの数やアフィリエイトでリンクしている数などを総合的に加味して検索結果をリストし、ウィンドウの左右の表示領域にも様々なフィードバック情報を提示するコミュニティ中心のスタンスを基本に据えていることがわかる。
これに対し、バーンズ・アンド・ノーブルではこうした特徴は見られず、あまつさえBarnes & Noble Booksが出版した本が最も上位にくるという露骨な結果が得られる。
出版社として事実を言えば、アマゾンはオライリーの本をバーンズ・アンド・ノーブルの10倍売っている。そしてユーザからの貢献を10倍受けている。例えば、アマゾンでは192のレビューがついている同じ本が、バーンズ・アンド・ノーブルでは18のレビューしかついていない。

ということです(意訳)。この議論は、今回のテーマに照らしてみると非常に印象的です。(このユーザ参加型のプロセスをオープンソースの文脈でほのめかしている点も別の意味で面白いのですが、今回は触れません)

アマゾンが採ったような戦略は、多くの企業にとっては怖くてできないものです。コミュニティなんてやって、荒れたらどうするのだ。情報のクオリティは全体として下がるんじゃないのか。自社の利益に貢献するようなコントロールが効かなくなるじゃないか。と、そうしない理由は無数に思いつきます。

一方、バーンズ・アンド・ノーブルのポリシーは、典型的な「管理」志向のスタイルで、我々にとってお馴染みのものです。そりゃ誰だって自社サイトには自分たちの商品を上位にくるようにするだろうし、もし仮に私がバーンズ・アンド・ノーブルの社員だとしても、そういう提案が社内でなされたらそうしない理由なんてうまく説明できる気がしないのです。

さて、ここでコミュニティを活用するということは、不確実性を大きくフィーチャーするということです。あるサービスをユーザに開放すると、ユーザは思わぬ使い道や抜け穴を発見します。それは時としてDoS攻撃だったり、不法侵入だったり、Scrapingだったり。オンラインバンキングの普及の裏をかいてフィッシング詐欺が流行したように、それが便利なもので普及すればするほど、こういう様々なリスクにさらされることになります。

普通の考え方なら、こういう予測不可能なものは制御し、管理しようという方向に力が働くでしょう。なるべく敷居の高いセキュリティポリシーを設定し、ユーザの自由度を減らす方向です。

しかし、アマゾンはそういったユーザの意外性に満ちたふるまいを観察し、そこから多くを学び、ついにアマゾンWebサービスというWin-Winの素晴らしい解決策に到達しました。この点は、伊藤直也さんのNDO::Weblogで「制限するのではなく、味方にする - Amazon Web サービス」というエントリが詳しいです。(ついでにamazlet.comもご紹介。Amazonはプラットフォームだ!と言われてもイマイチ実感の湧かない人は、まずこのあたりからどうぞ。)

世の中には、セキュリティが厳しいことや管理の統制がとれていることを誇りにしている人がいます。「わからない」を言いたくない、文明人です。しかし、アマゾンが示したような「あそび」を許すかどうか、「わからない」という不安と向き合い続けられるかどうかが、本来の意味での「マネジメント」の真骨頂であるに違いない。少なくとも私はそう信じています。

あなたの会社では、Webへのアクセスやメールの私的利用などを制限していませんか?経営者は若手社員の考えていることが理解できずに不安になってませんか?まずは自分自身の「AならばB」を疑ってみる努力をしていますか?

世の中は、わからない。不安なことだらけ。とうてい価値観を共有できないような人もたくさんいるし、長い人生の中では何度となく自信喪失に見舞われる。だからこそ面白い。

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※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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