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平野啓一郎『バベルのコンピューター』に見る新たなアポリア(前編)

2004/07/01 01:29
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芥川賞作家であり学生時代の悪友でもある平野啓一郎の短編集の新著『滴り落ちる時計たちの波紋』が刊行された。

ざっと読み終えてみての感想は、スタニスワフ・レムが「ソラリスの陽のもとに」のような硬派SFから「虚数」のようなジョークすれすれの衒学趣味へと傾倒していったように、エクリチュール芸術としての文学の方法論的な限界を試すことが、前作の「高瀬川」以降、平野の目下の関心事であるらしい。アバンギャルドな形式それ自体の挑発的性格から、巷の読者の間で賛否両論を巻き起こしているであろうことは容易に想像されよう。しかし私自身はと言えば、これらの作品群を以て文学史ポートフォリオにおけるどの座標を取りにいくかという長期的な視座に基づいた平野の戦略を、極めて肯定的に解釈・評価している。

中でも本刊に収録されている『バベルのコンピューター』は、ドキュメンタリー調メタフィクション(すでにして重層的な矛盾!)として秀逸であるだけでなく、コンピュータの可能性とそれ自身の内包する限界との間でどう折り合いをつけていくかという長年の問題について考えさせられるものがあったので、今回はこの作品(あるいは、知的いたずら)についてのメタメタな検討。

■図書館とコンピューターの寓話

この物語は、イーゴル・オリッチというクロアチアはザグレブ出身で哲学畑のアーティストが、ボルヘスの短編「バベルの図書館(伝奇集より)」をモチーフにした芸術作品『バベルのコンピューター』(The Computer of Babel)を、ヨーロッパ最大のメディア芸術祭であるアルス・エレクトロニカ、および京都メディア・アート・フェスティバル2003に出展したのを、後者に参加した平野がオリッチの他の作品も踏まえて論評を加えていくという、虚実綯い交ぜの設定である。

この設定の奇妙さのみならず、ポストモダン風の雑然としたくどいレトリック、膨大かつこだわり抜かれた脚註、そして原著の誤訳までご丁寧に指摘するという様式美の徹底ぶりは、まさに平野節全開といったところ。実はこの手の主題は、例えば先述のレムの「虚数」における「ビット文学」しかり、素材としてはそれほど斬新なものではなくむしろ地味な部類に入るのだが、偏執狂的とさえ言えるディティールの作り込みの迫力が読む者を唸らせる。

さて、このままではタダの文芸書評になりかねないので無理矢理このBlogっぽい話題に軌道修正してみよう。以下、ネタバレ含みなので、本作をまだ読まれていない方はご注意を。

 ボルヘスが『バベルの図書館』で行った目から鱗が落ちるような、しかし、身も蓋もない指摘は、すべての単語、すべての文章〜要するに言語表現可能なものの一切は、各々アルファベットの「あらゆる可能な組み合わせ〜その数は極めて膨大であるが無限ではない〜」の或る一通り(その部分または全体)に過ぎないという事実である。
 実は、小説としては完璧かと思われる『バベルの図書館』にも、一握りの曖昧さが残されている。
 「図書館」は、真ん中に「換気孔」が開いた六角形のフロアを上下に不定数積み重ねた構造となっており、各々の階の2辺を除いた4辺の壁には、同じ体裁の5段の書棚が設置されているという。そこに納められている本は32冊で、やはりすべて同じ体裁であり、各々が410ペイジ、各ペイジは40行で、1行約80字の黒い活字から成っている。正書法上の記号の数は25個で、ピリオド、コンマ、単語と単語との間の1マス分の空白(これも記号の1つとして数える)、アルファベット22字である。すべて小文字で、アラビア数字は含まれていない。そして、「広大な図書館に同じ本は2冊ない。」これが、非常に重要な前提となっている。

ここで、オリッチの企ては『バベルの図書館』の全蔵書、すなわちピリオド、コンマ、空白、アルファベットの計25個の記号の、1ペイジ=80字×40行=3,200字での組み合わせの総数であるところの25の3,200乗の、さらに1冊が410ペイジから成るのであるからその410乗、つまり25の1,312,000乗の組み合わせをコンピューターを用いて創り出そうという試みであり、出来上がった蔵書というよりその導出過程のパフォーマンス自体を作品化したものである、と明かされる。

この「作品」として登場するのは、バベルの図書館を模して280台のパソコンが敷き詰められた六角形の密室で、1台につき210個のHDD(容量120GB)を搭載できるディスク・アレイが10台並べられていて、ここに29個の記号(アルファベットを26文字としている)のあらゆる順列組み合わせがパソコンによって自動生成され黙々と記録されていく。。。というものである。

この小説には膨大な脚註が付随していることは既に述べたが、こちらがまたふるっている。

(13)この台数に意味があるのかどうかは分からないが、元々、ボルヘスの「図書館」も、当時彼が勤務していたアルマグロ街の実在の図書館をモデルにし、本の冊数を決めたというのであるから、拘る必要のない問題なのかもしれない。因みに、もし小説の通りに、1面につき32台×5段=160台のパソコンを並べようとするならば、作品は今の倍以上の規模となってしまう。本作がアルス・エレクトロニカに出品された際には、使用されたパソコンは1面につき32台、計128台で、機種にもバラつきがあったが、その後、個人、企業を併せた複数のスポンサーがついたことで、現在の台数を同一機種で揃えることが可能になったらしい。このパソコンは、64ビットのCPUを使用しており、視覚的な統一感の向上以上に、各パソコンのバッファー・サイズの拡大によって、ハード・ディスク・ドライヴへの書き込み回数が大幅に減少し、処理スピードは格段に上がったという。また、アルゴリズムにも、かなりの変更が加えられているらしい。この作品がそもそも可能となり、また今後の維持・発展が可能となるために、「資力」が極めて大きな意味を持っているという点は重要である(注(14)参照)。

さて、芸術としての文学作品に対し、専門的かつ枝葉末節な視点からツッコミを入れてしまうとイヤラシい感じがして興醒めかも知れない。しかし、平野自身が脚注にて「真に強靱なアレゴリーとは、リアリズムによる検討によく堪え、しかもその内容自体を、アレゴリーを成立せしめるための主要な属性として予め内包しているのではあるまいか。」と記しているのだから、敢えてここは批判的スタンスから出発し、さらに深淵なる問題へと立ち入っていくことにしよう。

まず上記に関して言えば、本作の設定となっている2003年時点で入手可能な民生用の64ビットCPUはPowerPC 970ぐらい(及びかろうじてAthlon 64)しかないということは明らかだし、ハードディスクへのWrite-Back Bufferが大きくなれば速度が向上するなんていうくだりも、後述するように今回の処理要件(連続転送)からすればちょっとピントがはずれている。

(14)仮に、1ペイジ80文字×40行=3,200バイトと仮定すると、1つのHDDには、120GB÷3,200バイト=40,265,318.4ペイジ、ここに収められているディスク・アレイ装置全体では、40,265,318.4ペイジ×210個×10台=84,557,168,640ペイジの保存が可能である(実際には、クラスタの関係上、これより少なくなるはずだが)。これは、注(16)にある通り、作品を24時間作動させるとするならば、3年強で得られるデイタの量である。無論、入れ替えは可能であろうが、この経済的に負担の大きい果てしない問題の克服は、作品存続の根幹に関わる。

(16)まったく正確な計算ではないが、画面の変化を見る限りでは、1台のパソコンで約10秒間に丁度29通りの記号が1マスの中で変化しているようである。参考までに、それを元に計算すると(マルチ・スレッドにより、書き込み時にも処理が停止することはないという前提で、且つ、あらゆるトラブルの可能性を除外しての話だが)、29通り×280台=8,120ペイジが10秒間に誕生している。1日で、8,120ペイジ×360秒×24時間=70,156,800ペイジ、1年で70,156,800×365日=25,607,232,000ペイジである。これだけを見ると、かなりの量だが、『バベルのコンピューター』によって産み出される全ペイジは、29個の記号の3,200乗であるから、仮に1年に誕生するペイジ数を、今の20倍弱の29の8乗(=500,246,412,961)として考えても、完成までには、29の3,192乗年かかることになる。
もし、人類の終焉の瞬間まで永続するものを、「永遠」と呼んで構わないのであるならば、なるほどこれは、「永遠を超えて ab aeterno」(『バベルの図書館』)存在すると言い得るであろう。理論的な前提を無化する眩暈に於いて、それは実質的に無限である。

文字列の順列組み合わせ表現は、あらゆる文字をコードとして自然数と結びつけ(例えば「A」はASCIIコード上では10進数の「65」にマッピングされる)、それらを算術の問題に還元してしまうコンピュータにとっては最も原始的で得意とする処理だ。仮に平野の言う1バイト1文字という非効率さ(29/256の効率)を受け入れたとしても、10秒間で29通りというのはあまりに遅すぎる。

■ボトルネックはストレージの集中化

それでは簡単に検証してみよう。

まず、文字列を1,312,000桁の29進数に見立てた上で各桁に1バイトを充て、第nバイトを自然数An(1≦An≦29)とすると、本一冊分の文字列を

1,A2,A3,...,A1312000

のような単純なバイト列としてメモリ上に展開することができ(1,312,000バイト=約1.3MB)、あるバイトをインクリメント(An=An+1)していって、29を超えたら上位バイトへ繰り上げるという処理(An-1=An-1+1,Anを1にリセット)を再帰的に行い、そのインクリメント処理の度に1.3MBのデータイメージをWrite-Back Bufferに突っ込む。と、こんな感じの最もナイーブなアルゴリズムでさえ、CPUのコストはディスクI/Oに比べて限りなくゼロに近い。試算すると、仮にディスクアレイへのインターフェースとして1Gbps程度のFibre Channelを想定したとして、理論値上限のスループットが出るという想定で1秒間に100冊ほどのペースとなる。ストレージへのインターフェースがこれほどまでに遅ければ、たった1台のパソコンでさえアイドリングが発生してしまう計算になるため、クラスタはおろかマルチスレッドでさえ何ら効力を持つ次元ではない。(それでも、平野の目算の約34倍程度ではある)

この手の分散処理設計が極めて容易かつデータ生成系の要件では、ストレージを集中化してしまうことはボトルネックを生じることにしかならないのだから、わざわざ210台ものドライブを収容できるディスクアレイ(例えばEMCのハイエンドクラスというイメージだが、いくらなんでもパソコンごときにこの手のストレージではバランスが悪すぎる)を導入する利点はない。

ここで仮にディスクを集中化せずにクラスタの各ノードがローカルHDDにそれぞれ独立してひたすら書き出していく処理だとすると(もはやクラスタではなくただの分散コンピューティングだが)、次のボトルネックはそのローカルHDDへの転送速度だから、実効転送速度が50MB/sのケースを想定したとして、ノード1台あたり1秒間で40冊ほどのペースとなるため(ということは、HDDの容量が仮に120GBだとすると理論上2,400秒でディスクが満杯になってしまうがこれを敢えて無視するならば)、1日では40冊×280台×3,600秒×24時間=967,680,000冊となるわけだから、少なくとも平野の試算の5,600倍ぐらいには速くなる。(もちろん1バイト1文字の非効率を改善すればさらに約8.8倍向上する)

いずれにせよ、仮に記憶装置の性能が現在の1億倍になったとしても、150億年とも1兆年とも言われる宇宙の寿命よりも遙かに長い時間であることは確かだから、誤差として無視できるスケールの議論であることは間違いない。

しかし、この物語設定における真に深刻な問題はこの程度のことではないのだ。

後編では、この物語から発見される驚くべきアポリア(難題)に踏み込んでいく。

「日蝕」「一月物語」「葬送」
日蝕 一月物語 葬送

初期三部作。衝撃の処女作にして当時最年少で芥川賞を受賞した文学界の金字塔「日蝕」、泉鏡花の世界観で繊細な心情の機微をうがつ「一月物語」、硬派な欧風歴史小説「葬送(上・下)」。

「高瀬川」
高瀬川

現代的な主題を扱った短編集。平野の小説を初めて読む方にお薦め。

Yngwie Malmsteen / Far Beyond The Sun

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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