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肩書きと報酬とモチベーション

2004/06/30 01:01
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さまざまな憂鬱とわたし」と「生活空間向上委員会」からのトラックバック。まず、「さまざまな憂鬱とわたし」から。ここのオーナーmkusunokさんは、私よりも年下なのだけれども某世界一有名なIT企業で要職に就いているという、世間の人事の常識からすればありえない例外的な人。一応、本人からは本名は明かさないでくれと言われているので、この程度にて。。。

社内外で肩書を分けることについては,一般に広く行われている。例えば日本企業で一般的な職能資格制度も,役割としてのマネージャ・ポストが減るなかで,従業員のモチベーションと年功賃金を維持するために考案された制度である。江島氏は年功序列の肩書は認めても年功序列の賃金には批判的だろうから,趣旨は違うけれども,問題とその解決策という点では似たり寄ったりである。

職務等級制度も職能資格制度も、いずれも主に給与グレードを決定するためのスキームですね。特に外資系企業では、年度・半期・四半期ごとの査定で給与に関してより大胆なオファーをする傾向にあるようです。しかし、これは「モチベーションの源泉はお金である」という思想が濃く出ているものだと思います。営業力を強みとする企業には向いていると思いますが、技術力を強みとする企業では運用が難しいと思います。(一般に外資系企業に求められるのは営業力、という点とも符合します)

制度カットからの人事について、いくつかの良質なリソースを見つけました。

職能資格制度の今後の方向(関西経営者協会)
これまで日本の人事制度の中心的役割を果たしてきた「職能資格制度」に対して、近年、年功的な運用がもたらす「賃金と能力のミスマッチ」や「課題形成能力や専門性の評価が困難になる」等、様々な問題点が指摘されるようになってきている。今後の方向性を模索しよう。。。という提言。

職能資格制度の立役者 楠田丘氏と知的熟練を説く 小池和男氏 Big対談
1年間で業績評価は「大人げない」。。。「世の中には分からないことが必ずあるのだから、それを分かったかのごとき装いを持つものは疑った方がいい」。。。(小池氏の非常に理知的な発言が光っています)

官僚制組織の何が問題なのか
官僚的という言葉そのものに非常に悪いイメージがあまりにも強過ぎる。官僚制組織は「計画」と「実行」の分離という点において理想的な形態である。。。という論。(先のエントリで述べたような、オペレーションの的確な推進を主体とする目的においては階層型組織が優れている、という論を後押ししてくれるものです)

ちなみに私は年功序列の賃金に関しては、実はそれほど批判的でもありません。世の中には色々なタイプの人がいるわけで、その人にあった勤務先の選択肢があればよい、というだけのことと考えています。今の日本はすでに年功一色というわけではなく選択肢はかなり豊富になっており、ここまで来たらもう社会の仕組みの理不尽さのせいにはできないでしょう。現在の日本の労働環境は、個々のケースについてではなくマクロに見れば、相当恵まれているのではないでしょうか。不平不満を言い出したらきりがないですから、あとは「自分がどうしたいのか」を正しく見極めることと、それに追いつこうとする努力次第(あるいは今の環境から飛び出す勇気次第)ではないかな、と感じています。

この点について、「生活空間向上委員会」からは

答えも道筋もない活動で、グループをリードする一番の説得材料はモチベーションだろう。そこでは肩書きなど意味がない。そこまではよくわかる。が、”従業員の大多数は仕事に「社会との関わり」や「やりがい」を求めているだ”というのは本当だろうか?20代〜30代の若いうちならよくわかる。が、少なくとも40代の私はそうではない。将来の成功に対して、報酬がどう配分されるのかとても気になる。報酬を考えずにやりがいだけで生きられる程、今の日本は豊かではない。

という反論をいただいています。

しかし、この点に関しては私は

本当の「やる気」はどこから生まれるのか? 〜外発的動機づけと内発的動機づけの違い〜
外発的動機づけ(=アメとムチの賞罰による動機付け)は短期的には強力だが、長期的に見れば「手っ取り早い最短の方法を選ぶようになる」、「チャレンジしなくなる」、「親や上司の見ていない所で巧妙にサボタージュするようになる」といったマイナスの効用が明らかになってきた。そこで内発的動機づけ(=行動することで得られる楽しさや満足感による動機づけ)が重要になってくる。。。(心理学的なアプローチからの良質な分析)

の見解を支持する立場です。やっぱり、仕事それ自体を面白いと思える状態が何よりハッピーなのではないでしょうか。大卒フリーターが激増傾向の昨今、金銭面の安定と充足は重視しないという層は明らかに存在感を増してきていると考えています。そしてこれはいくら日本社会が不況、不況と言っても「パンも食えない」ほどの、生命を脅かすものではない、という生ぬるさ(物質的豊かさによる甘え)に起因するものだと思います。

ふたたび「さまざまな憂鬱とわたし」に戻って、

わたしの知っている外資系某社の場合は,肩書きは2つどころか3つあって,それは社外向けの肩書,社内向けの肩書,待遇上の肩書である。それとは別に,いわゆるレポートラインという1本の木となった明確な序列もある。外向けの肩書をポストと別に定義できるのは柔軟で便利なところもあるが,柔軟過ぎると名刺上の肩書が政治的に乱高下することもあり,外部への説明が難しい。わたしはまだ若輩者なので,偉そうな肩書をもらっても面映ゆいばかりでモチベーションは上がらない。偉そうな肩書に騙されて他人から擦り寄られると自分が相手を誤解してしまう懸念があり,却って迷惑でさえある。肩書は序列ではなく,職務上のミッションを端的に示しているべきだ,というのがかねてより私の持論だ。とはいえ40代くらいになると,それっぽい肩書を持っていた方が自然なのかも知れないし,それでモチベーションが上がり,仕事も円滑に進むというのなら,それに超したことはあるまい。誰もがそう考えるから実際のところ,世に担当課長なり担当部長なる便利な役職が溢れているのである。

なるほど、社外向けの肩書きと社内向けの肩書きの分離が実践されているというのは興味深い事例です。ありがとうございます。とりあえず今回、私が提案したかったのは、給与ランクというよりも「ステータス(外)」と「ミッション(内)」を表すタイトルの分離でした。そういう意味で、「タイトルは職務上のミッションを端的に示しているべきだ」というのは賛同します。社外を向いた仕事をしている人と社内を向いた仕事をしている人ではやはり事情が異なるので、「2つのタイトル」案は個別に見ていくとやっぱり運用は難しい(得られるメリットに対して費やす労力が大きい)かも知れませんね。

別の観点で、会社によっては部門横断のプロジェクト人事をやっているところもありますが(現在の当社も取り組みを始めています)、こういう場合にはプロジェクトリーダーは通常ポストと兼任でいくか、または完全にプロジェクト特化のポストを一時的に用意してリーダーには専念してもらうかといった判断が重要になってくるはずです。前者だとスカンク・ワークス的な非公式プロジェクト、後者だと通常のプロジェクトというイメージになりますが、こうした場合にプロジェクトリーダーの責任感をどう演出し(決定権を与え)コミットメントを得るかというのが課題となってくるようです。(前者の場合は元々リーダーのモチベーションが極めて高いことが大前提ですが)

例えばITベンダーならシステム部門の次にお付き合いする頻度の高い「業務改革プロジェクト」や「経営企画室」のような通常の組織階層からちょっと離れた人々に、社内での相対的な力関係をどう設定するかというのは経営者にとって難しい問題のようです。あまりに特権的な力を与えると現場との関係がギクシャクしがちで協力を得にくくなるし、決裁権を与えなければ本来の役割が形骸化します。特にこれからの変化の早いIT時代、業務改革のための部門横断組織は、プロジェクトのようにテンポラリなものではなく各部門間の利害を調整する部門としてナレッジやノウハウの継承も含めた永続的な役割が求められるようになっていくはずです。私がこれまでにコンサルティングした経験の範囲では、特に大企業においてはこのような横断的な調停機関が効果を発揮するシーンはますます増えつつあるように感じています。

ちょっと話題が発散気味になってしまいましたが、今回の議論を通じて思ったことを述べさせていただきました。

Steely Dan / Aja

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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