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ピーターの法則と人事考課のジレンマ

2004/06/26 23:49
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この一週間を振り返ってみる。ビザ申請の再チャレンジに関する準備、ASTERIAをIBMメインフレーム上で稼働検証したときの環境確認と案件対応、某著名企業のシステム部門トップの方との会食、XML界のグル・村田真さんとの打ち合わせ、いくつかの社外プロジェクトのお手伝い、オラクル時代の同期で現在はDeNAに勤務する親友たちとのランチ、いくつかのプライベートな飲み会、などなど。

しかし、何だかんだ言っても社外を向いたアクティビティは社内とインタラクションする仕事よりも楽だ。以前にも「ソフトウェアをビジネスにする組織の緊張感」で述べたような本音ベースの重たいコミュニケーションが、会社に帰れば大量に待っている。小一時間ほどクールなビジネスパーソンになりきれば得られる社交性やトーク技術がものを言うプレゼンテーションなぞは、これに比べたら表層的なスキルセットに過ぎない。

社内では評価が高いのに社外ではあまり認められていない人には、真面目で、物事をじっくり考え、親密なコミュニケーションを得意とする性向があるように思われる。反対に、社内での評判は悪いのに社外では人気がある人というのは、仕事は大ざっぱで付き合いは悪いが要領は良い、といったタイプが多いように思う。

社外を向いた仕事の方が楽に感じるということは、私は後者のタイプに近いということだろうか。あまり認めたくはないが、あながち外れているとも思えない。自分を知るということはとても難しい。

ところで「ピーターの法則」によれば、階層社会においては有能な人はどんどん昇進していき、新しい職位が自分の能力を超えてしまったところで安定する。

つまり、時間が経つにつれてあらゆるポストはその責任の重大さに値しない構成員によって占められるようになり、実質的な仕事はまだ能力に見合うポストを与えられていない構成員によって遂行される。これを放置すればフラストレーションばかりが渦巻く澱んだ水溜まりのような組織になってしまう。

役員がいて、事業部長がいて、部長・課長・係長がいて、というピラミッド型組織の先入観に縛られることは、なんと不幸なことか。家族や社会に自分の価値を認めてもらいたいがために、例えば「わかりやすい企業のわかりやすいポジション」というようなステータスを得たいという欲望を捨てることは容易ではない。

ある年齢に達したらそこそこのポジションに就いていなければ恥ずかしい、という高度成長期にしか通用しない上昇志向では、殆どの人は幸せになれない。(階層的な観点でいう)平社員こそが会社の基盤なのだと誇りを持てるような価値観を醸成し、自分の能力が管理職向きではないと悟った人には自ら後退する勇気を与えられるような新しい非管理職ポストを創造することが、新陳代謝の止まった現在の日本企業にとっての急務ではないかと思う。

私自身はといえば「部長」という何とも古くさい響きの中間管理職である。これはインフォテリアという会社に人事面での創意工夫が足りなかったと言ってよいと思う。たかだか数十名の組織で部長も何もあったもんじゃないと個人的には思うのだが、こうしたレガシーな毀誉褒貶が社員の動機付けになるか、あるいは階層による指示系統が組織に欠かせない、つまり社内ガバナンスの維持に役立つと信じられているようである。

確かに社外の人と接するシーンでは肩書きがあることで短時間で相手の関心を惹くことに役立つ場合もあるが、実のところ社内に戻ればこんな肩書きは何の役にも立たない。階層的な命令体系が適切に機能するのは、基本的なプロセスが決まっていてあとはうまくオペレーションを回すだけ、という場合である。何かを創造するというような「プロセスを生むためのプロセス」においては、その瞬間その瞬間でモチベーションが最も高い奴、アイデアと主張と勇気のある奴がリードすればよい。それだけのことだ。何よりも、肩書きを保有することで自分自身のことをいっぱしの人物だと錯覚してしまうことが、ピーターの法則における最大の不幸だ。

そこで、肩書きは社外向けと社内向けとで独立して2つ設けてはどうかというのが今の私を捉えて放さないアイデアである。社会的なステータスを満足しつつ社会と調和するための社外向けポストと(年功序列でさえ構わない)、実質的な社内での役割を示すための柔軟性重視の社内向けポストを、同一人物がそれぞれ別々に持ってはどうかということである。「フラットな組織」を標榜する人事の正否は、掛け声の大きさよりもこのあたりのマネジメントの巧拙と工夫次第のようである。

評価される側の従業員の大多数は仕事に「社会との関わり」や「やりがい」を求めているだけなのに、評価する側の会社は「スキル」だの「実績」だのを基準に評価を行い、昇進を決め、従業員をランク付けする。その互いの思惑の間に存在する奇妙なねじれ、ミスマッチ。「実績」や「スキル」や「職位」のような客観的な(という言い訳が通用する)基準でしか従業員を「認める」ことができないというのは、とても哀しいこと。人が人に認められてハッピーになりモチベーションが上がるという心理は、恋愛と同じぐらい極めて主観的でウェットな人間関係に基づくものであることを知っておくべきだ。

では、人事に携わる人々が無意識のうちに口にする「実力主義」とは、一体何か。それは本当に役に立つ考え方か。それによって「誇り高き平社員」は生まれるか。この種の本質的な問題から目を逸らすことは、もうできない時期にきている。

Chicago / Hard To Say I'm Sorry - Get Away

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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