3月19日の日経新聞に出ていた「粘菌コンピュータ」の記事は、大きな扱いではなかったが、各所で話題になっているようである。
それによると、
「理化学研究所の原正彦・局所時空間機能研究チームリーダーらは、土壌にいる微生物の粘菌を使った「生物コンピューター」の基本原理を考案した。現在のパソコンなどが苦手とする新しいアイデアや発想を生み出す計算に向くという。実用化には時間はかかるが、人間のような柔軟な思考が可能なコンピューターを実現できるとみている。」
「考案した生物コンピューターでは、情報処理の基本単位であるトランジスタの代わりに粘菌の習性を利用する。エサを求めて成長する粘菌の周りに光を当てると、粘菌がいくつかの決まった形になる。光を「入力」、形を「出力」として計算に利用する仕組み。」
ということである。
この粘菌コンピュータは、0か1かの2つの出力を出す通常のコンピュータに、処理速度は及ばないが、入力に対して粘菌だと1個で十通りの結果が出るので、正確な答を素早く・・ではなく、複雑な問題でいくつかの選択肢を示したり意外な発想を生んだりするコンピュータが期待されるのだという。
ちなみに粘菌とは、Wikipediaによると、
「変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ微生物などを摂食するという”動物的”性質を持ちながら、小型の子実体を形成し、胞子により繁殖するという植物的(あるいは菌類的)性質を合わせ持つ、特異な生物である。そのためこれを動物と見るか植物(菌類)と見るかについて、多くの議論があり、古くは動菌、菌虫などの用語が使われたこともある。」
とある。ふむ動物であるか植物であるかについても議論があるのか。不思議な存在だ。
ところが粘菌コンピュータの研究は、周辺を調べてみると、意外な系統の別の先行研究と結びついているらしいのだ。それは「心とは何か」という深遠なテーマである。
北海道大学の中垣教授のサイト「不思議なアメーバ生物―粘菌に学ぶ賢い計算法―」によれば、粘菌には迷路を解く能力や、ネットワークを構築する機能まであることが取り上げられている。そしてこの能力は、「心」の基本的な機能に極めて近い。
また次のような著述もある。
「心」を追求する研究分野においては、脳を持たない粘菌の情報学習機能が、その代謝反応系によって構成されている可能性がある、という研究成果が報告されているという。平たく言うと、「下等生物」であるはずの粘菌は、一定の刺激に対しての生理的反応のみで、まるで「考えた」かのような行動をすることが知られている。(心はいつ生まれたのか?心の系統発生 道徳科学研究センター)
ふむ。
もしも心が代謝系の反応であるとすれば、心は高等生物の中にのみ生まれるという従来説は崩れ、心は、あまねく地球上に生息する生物に共通の「代謝系の反応」であるということが言えることになるらしい。
つまり「粘菌コンピュータ」がもしも実現するとすれば、こうした新しい定義の「心」を複雑現象の予測に応用することができるようになるかもしれないということになるようなのだ。つまり、「粘菌コンピュータ」は言葉を変えると「心を持ったコンピュータ」の原始型になるかもしれないと。
従来のコンピュータ技術はひたすら一定の「決まった結果」をできるだけ早く計算することに費やされてきたともいえるだろう。複雑なシステムや化学反応などの結果も、あらゆるパターンを計算し尽くすことにより、求められている目的への最適な解を求める。速度への要求こそが、超高速コンピュータの需要を生んだのだが、パーソナルコンピュータにおいても演算の他に、「図を描く」、あるいは「動画を動かす」という「あらかじめ決められた目標」に向けて計算が行われ、それが画素の動きに変換されて我々の眼に見える形に出力される。それがコンピュータというものであると皆が考えてきた。
だが「心」とは何だろう。おそらく「心」とはこうした「あらかじめ決められた目的」というものが、元々存在していないプロセスを呼ぶのではないだろうか。従来技術の延長でそのメカニズムに迫ろうと思えば、0と1との無限の組み合わせによって、つまり「ビット」であらゆる心の「到達点」を知ろうとすることとなるだろう。つまり予想されるパターンを計算しつくすわけである
ところが、元々「心」が理解不能な、予測不能なある種の反応であるから、こうしたアプローチはジレンマに陥ることになる。「心」は計算や予測を行うことが、元々不可能なのかもしれないのだ。
「機械に人の心はわからない」とか「コンピュータで何でもわかると思うな」と謗るアナログ世代の「旧世代的感覚」にも利があるのであって、こうしたデジタル的手法であらゆるパターンをシミュレーションし尽すような方法では、「人生の深遠な秘密」に辿りつけるわけがないと、先天的に知っているからであろう。
ところが、恋愛に関して言えば、その日のデートコースを決定するにあたっても、Googleで情報を検索して食事や映画の場所を決めるという、ネット時代の「洗練された情報検索技術」とも思える一見「先進的な」方法の中で行われているのが、我らの社会ではないだろうか。
しかしGoogleといえども、膨大な情報の中から最適解を見つけ出そうとする演算でしかないという言い方もできる。情報を集めさえすれば、何かが実現できるという考え方に我々はどっぷりと浸かって生きている。情報を集めて演算さえ行えば、恋愛や嫉妬、あるいは憎しみといった「心」の問題にもコミットできると、無意識に誤解しながら我々は生きていないだろうか。
そこでだ。
記事にあるように、もしも一つの入力に対して、「代謝系の反応」により、10通りの異なる結果を出すような「粘菌コンピュータ」の登場によって、こうした現在の「常識」と思われる我々の生き方=ライフスタイルが、どのような影響を受けるか考えてみると、スリリングである。何しろ、このコンピュータは従来型とは違って、予想される結果を求めるためのシミュレーションや情報収集がではなく、むしろ「意外な発想」や「選択肢」を示してくれるというのだ。そのありかたは、「心」の本質は何かという永遠の謎につながる存在であるかもしれないのであり、こうしたコンピュータこそが、「心」を持つコンピュータであると言えるかもしれないのである。
つまりこの新しいコンピュータは、恋愛や憎悪と言った感情現象ですら、自らの中に取り込みながら、我々に思いつきもしなかった、意外な示唆を与えてくれるような存在になるかもしれないではないか。
「コンピュータに何ができる」という従来の機械限界説の裏に、今まで我々が予想もしていなかった、別世界が広がっているかもしれない。ちょっと想像をたくましくしてみると刺激的な話ではある。
まさかあの*HAL9000が粘菌で動いているなどとは、キューブリックも一言も言っていなかったけれどね。
*映画「2001年宇宙の旅」に登場する心を持ったコンピュータ
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粘菌の1つ1つ、細胞の1つ1つ、DNAの1つ1つがそれぞれ心の要素であり、その全体の重ね合わせが植物、動物、そして人間の心を作り出しているのではないでしょうか。そしてまた、脳はその様々な状態を記憶しておくための記憶装置なのだと思います。