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CNET Japan ブログ

物語はネットによって解体されるのか

2006/08/31 08:08
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ギートステイト制作日誌

2045年の日本を社会学や情報技術といった視点から描き出すプロジェクト「ギートステイト」。批評家の東浩紀氏、エンジニアの鈴木健氏、小説家の桜坂洋氏の3人が「未来」の制作過程をお伝えします(このブログの更新は2007年1月4日で終了しました)。
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■ モデル「ソードワールド

ロードスという島があった。

エーゲ海にいまも浮かび、そのむかし聖ヨハネ騎士団とオスマントルコ軍が熾烈な戦いを繰り広げた島のことではありません。ライトノベルを語る上でも、日本におけるテーブルトークRPGを語る上でも欠かすことのできない架空の島のことです。

『ロードス島戦記』の誌上リプレイが月刊コンプティーク上で始まったのは、1986年8月のことです。ごく簡単に説明しますと、テーブルトークRPGとは、ゲーム機の代わりにサイコロとルールブックを使用し、人と人が対話することによって進行するRPGです。リプレイは、その対話を文字化したもののことをいいます。1980年代終盤から1990年代前半にかけて日本で起きたテーブルトークRPGブームの立役者がこの『ロードス島戦記』です。

連載開始と同時に『ロードス島戦記』は人気を博し、小説化、コミック化、映像化、ゲーム化と、次々にメディアミックスされます。また、リプレイ版ロードス島のゲームマスターであった水野良氏が小説を出版するのに前後し、「ロードス島は、ソードワールド世界フォーセリアに浮かぶひとつの島中の話である」という設定がつくられました。これが、ロードス島のメディアミックスが他と異なる点です。ソードワールドはテーブルトークRPGのルールのひとつであり、それ自体は物語ではなく世界観ともいうべきものです。ソードワールドのルールを使用し、人は、テーブルトークRPGで遊ぶ、すなわちコミュニケートします。ソードワールドというルールは後発であり、先発のD&D、トラベラー、ローズ・トゥ・ロードといったルールに当初は押されていました。ですが、結局、もっとも日本で普及したルールはソードワールドです。

『ロードス島戦記』という物語が、テーブルトークRPGというメディアにおいて、ソードワールドというコミュニケーション・ツールを普及させる駆動力となったのです。

■ 物語はコミュニケーションのトリガーである

IT業界では、人と人がコミュニケートするシステムをいかに構築するかに注目が集まっていると聞きました。コンテンツの販売・流通そのものではなく、コンテンツをネタにコミュニケートする人々に課金することがビジネスとして有望であると考えられているそうなのです。コミュニケーションが主でコンテンツが従です。東さんがご自身のblogで書かれたアテンション・エコノミーに関するエントリーもそのことについてだと思います。コンテンツ産業に従事する者のひとりとして、近い将来に起こるかもしれないことも心配の種なのですが、「2045年にコンテンツ産業がどうなっているか?」ということを『ギートステイト』では主に議論しています。

現在、物語の消費の仕方を消費者自身が決めるよう変化しつつあるのは事実です。かつては、「泣け」「笑え」「感動しろ」といった、メディア側が用意したマニュアルに沿って、わたしたちは物語を消費していました。ですが、ネット時代になり、わたしたちは、「この親子と兄弟の姿に感動しろ」「この親子のドラマが詰まった映画に感動しろ」といった押しつけ型の消費を拒否するようになりました。消費はしますが、笑うか泣くか感動するかはこっちの勝手です。あまりにもひどいからネタにして笑う、コミュニケーション・ツールとして使うといった消費の仕方もあるでしょう。

コミュニケーション・ツールの使用そのものに課金できるようになったのもネットの新しさのひとつだと言えます。テーブルトークRPGの時代は、ルールブックというパッケージを売るしかありませんでした。その後のコミュニケーションは、パッケージを購入した人間の自由です。ですが、ネット上のコミュニケーション・ツールは、その使用頻度に応じて、使用した人間全員に課金できるのです。

ソードワールドのモデルを現在のビジネスに愚直にあてはめれば、『ロードス島戦記』クラスでヒットする物語を用意し、その世界観を流用したMMORPGを開発するということになるでしょう。ですが、ここで気づくのは、MMORPGをやるのは、MMORPGをやりたい人だということです。つまり、コミュニケートするのもコミュニケーションしたい人に他ならないということになります。

たいていの人はもともとコミュニケーションを欲していますから、コミュニケーションのために物語をどう使うかという発想になりがちです。ですが、物語などコミュニケーションのトリガーでいいのだ、という考えが多くの人にとって本当に正しいのかどうかはよく考えないといけません。物語がコミュニケーションの強力なトリガーになるということと、物語はコミュニケーションのトリガーにしかならないということを混同すると深い落とし穴にはまる可能性があります。むしろ、コミュニケーションを車輪とするならば、物語はセルモーターというよりは車輪を回し続ける駆動力だと考えたほうがいいのではないでしょうか。コミュニケーションを持続させていくためには物語という駆動力を必要とする、といったほうが、作家として物語を供給するだけでなく、一読者として日々大量消費しているわたしにはしっくりきます。

■ 物語はネット・コミュニケーションの駆動力となるのか

ここで、テーブルトークRPGの普及を元にひとつのモデルを提示してみます。

(1) 新しいメディアの発見・誕生
(2) そのメディアが広まり切らない時期に目端の利く人間が物語を投入
(3) そのメディアが十分に広まる。同時に、メディアの新規性が薄れていく
(4) メディア:物語=9:1くらいだった受け手が「おもしろいと感じるポイント」が、メディア:物語=1:9くらいに変化する

これは、テーブルトークRPGだけでなく、ゲーム機のRPGにも適用できます。『Wizardry』や『ドラクエ』、『FF』から人々に普及していったRPGは、『FF7アドベントチルドレン』でついにただの物語となりました。『同級生』あたりから注目を集め始め『ときメモ』を経た美少女ゲームは、その後ノベルゲーム化し、『ひぐらしのなく頃に』で選択肢のない物語になりました。映画だってそうです。原初の映画は、映像が動くというだけでおもしろかったはずです。人々は、白い幕に映される映像が動くというだけで集い、熱狂しました。それが物語仕立てになり、弁士がつき、トーキーになって、ハリウッド映画ができました。こんにち、映画館に物語を見に行くことに、人はなんの疑問も抱いていません。

同じことがネットでも起きているとわたしは思います。人々は、ネットという新しいメディアを使いたいし、それを使ってコミュニケートしたいはずです。でも、このメディアにもいつか飽きるときがきます。他のものの新規性が永遠ではなかったように、ネットの新規性も永遠には続きません。そのとき、ネットにおけるコミュニケーションを促進するための物語が現れるでしょう。もしかしたら、それが、物語2.0と呼ばれるものなのかもしれません。

わたしの回でこのblogも3回めとなりました。批評家の東さん、エンジニアの鈴木さんが『ギートステイト』の内容寄りのエントリを書き、物語部分を担当するはずのわたしが周辺事情について書くといった逆転現象が起きています。作家のわたしにとって、物語を構築するという作業は通常の業務で、それについてあまり語る言葉を持っていないというのもたしかです。ですが、誤解をおそれず言うなら、こうした逆転現象そのものが、物語も1.0時代から2.0時代へ移行しつつあるということなのであり、ネット・コミュニケーションの駆動力となる物語2.0の方法論がまだ確立していないことの証なのではないかと思います。

みなさんはどう思われますか?

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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