毎日jp への下記リンク 1 :時代の風:ネット接続権=東京大教授・坂村健
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20091122ddm002070083000c.html
今回の自分は、上記記事を読んで「なるほど」と言いたいだけですので、まだの方は、直接お読みいただくのが、個人的には一番いいです。
ただ、新聞社の記事は、比較的速やかに、インターネットから消えてしまうことがあるのですね。
ということで引用ここから
(前略)
そのフィンランド運輸通信省がつい最近、高速で大容量のデータ伝送のためのブロードバンドへの接続を国民の「権利」として法律で保障するという宣言を発表した。
(中略)
産業革命以前には「貧乏は個人の自己責任」という考え方だった。しかし、発達した工業社会で必要とされるのは多数の教育を受けた労働者である。さらにはイノベーションを起こせる有能な人材の供給源としても、消費者としても厚い中間層が必要とされる。つまり国民の生活を国家が保障することが結果的に工業社会を支え国力につながる。人道的側面ではなく、そういう功利的な考えでも社会権は説明できる。
(中略)
今後も生命科学などのさまざまなイノベーションにより新たな人権が生まれ、いずれ「21世紀的人権」が確立することになるだろう。やむにやまれずその先頭を走っているフィンランド。しかし、日本にその努力を冷ややかに見ながら身の振り方を考える余裕があるかどうか−−真剣に考えるときが来ているのではないだろうか。
引用ここまで
電子政府について、ネット接続が国民の基本的人権として保障されるのであるならば、電子政府推進に疑問をさしはさむ、現在の自分の考えは、変更可能になるかもしれません。
さらに、自分の欠陥として、『産業革命以前には「貧乏は個人の自己責任」という考え方だった。』という発想が新鮮だったということがあることを、率直に認めなければなりません。
自分は、現在の日本国内について、「貧乏は個人の自己責任」が普通に通用していると思い込んでおりました。少なくとも、建前上は、そんなことはない、ということなのでしょう。
今回の記事を拝読したおかげで、多くは裕福な、現実社会の支配層にとっても、国内の貧困層につき、一定の社会権によってある種の権利を保障することのメリットがある、という発想を、改めて、意識上に上らせることができました。
電子政府構想につき、企業等の飯の種という側面が残るかもしれない、ということは、今後もずっと否定できないと思っています。しかし、真に、国民のための電子政府の機能が、今よりも国民寄りに働き始めたとき、そのような側面は、自然に、今よりも目立たなくなるはずです。
国民の権利としてネット接続権を認めるには、それなりに一般国民にとって使いやすい、電子行政の存在が必要だと感じています。
消費活動のためのネットだけでは、弱いような気がします。
まだ、日本国の電子政府の機能は、一部の、ネット関係をそれなりに駆使される方々のものである側面が強いような気がしております。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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