これほど複雑な暗号機の解読方法をコンピュータを使わずに見つけ出すために、ポーランドや英国、それに米国の数学者らは、人手を使うよりもはるかに高速にEnigmaの仕組みをシミュレートし、考えられ得る解法を調べるための機械をそれぞれ独自に考案することになった。「Bombe」と呼ばれるこれらの機械は、まず英国のブレッチリーパークで開発されたが、これはEnigmaの暗号解読のためにポーランドが先に開発していた「Bomba」を元にしたものだった。そして後に、米国オハイオ州のデイトンにあったある施設で、より高速かつ強力なBombeが開発された。
連合国側は、何度かの中断やつまずきはあったものの、Enigmaの暗号解読を狙った取り組みを続け、結果的にその解読に成功した。ドイツ側ではEnigmaの暗号が破られる可能性は想定していなかった。おそらく、Enigmaを使って生成した特定の暗号に対して考えられる解法の数の多さに多大な信頼を置いていたためだろう。「彼らはこの膨大な数のせいで、暗号解読の可能性を見逃していた」とBaldwin氏は述べた。
Alan Turingは、ブレッチリーパークにおけるEnigma暗号解読の取り組みに貢献した人々のなかで最もよく知られるようになった人物だ。Turingは英国が開発したBombeの中心的な設計者のひとりであった。エキセントリックな考えを持ち、高いスキルを持つ数学者であったTuringは、後にマンチェスター大学でその才能を初期のコンピュータ開発に振り向けることになった。
TuringがEnigmaの暗号解読方法を見つける取り組みに関わっていたことはその死後まで公にされなかったが、これはブレッチリーパークでの取り組みに関与したほかのすべての人にも当てはまる。そして、解読者が作成した書類はすべて処分された。近年になって、解読者の手になるメモが仕事場として使っていた兵舎の内部から見つかり、それによって暗号解読に至るプロセスが明らかになった。このメモのなかにはEnigmaの暗号機の設定を解明するために使われた「バンバリーシート(Banbury Sheet)」と呼ばれるものも含まれている。
英国と米国がEnigmaで暗号化されたメッセージを繰り返し解読していたことは、1970年代になるまであまり知られていなかった。F. W. Winterbotham氏著の「ウルトラ・シークレット」が刊行されたのは1974年のことだったが、これはBombeの存在を明かした英語で書かれた最初の本だった。The New York Timesは当時、同書をとり上げた批評記事のなかで、「この書籍で明らかにされているのは、第二次世界大戦に関して、原子爆弾(の開発)に次ぐ最も重大な秘密だ」と述べていた。そして同書刊行の翌年には、英国政府がこのプロジェクトに関する情報を公開し始めたとBaldwin氏は述べた。
Enigmaのプレゼンテーションを終えたBaldwin氏に対して、筆者はさらに質問をぶつけてみた。その質問とは、Baldwin氏が、EnigmaもBombeも決してコンピュータではなく、コンピュータの先駆けとなる代物ですらなかったとして譲らない理由についてであった。Baldwin氏がEnigmaやBombeの能力を大いに評価していることは明らかだったが、それでも同氏は、Enigmaは単一の目的のために作られた、電気機械式の装置だっととの自説を繰り返した。そして、Bombeは確かに暗号解読のための画期的な解決手段であったが、それでも単に複数台のEnigmaを同時に稼働させていたにすぎないと言う。
「Bombeは2+2の足し算さえできない」とBaldwin氏は答えた。
そうだとしたら、そんなものがコンピュータである理由はない。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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